富嶽や京よりも先に世界最速のコンピュータを作った日本人

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こんにちは、ヒビキです。
今日は,2020年 コンピュータの性能ランキングTOP500で
1位を取った「富嶽」より前に、当時最速のといわれた、
IBMを超えたコンピュータを作った
日本のコンピュータ産業の父「池田敏雄」の話をしたいと思います。

結論としては、池田敏雄が言った
      「全ての開発は感動から始まる」
      「挑戦者に無理という言葉はないんだ」
いうこと言葉に象徴されるように


「感動するくらい、惚れるくらいの仕事をしないと
いい仕事はできないよ」
「挑戦者は、常に限界に挑戦しなさい」ということだと思います。

池田敏雄とコンピュータの歴史は
1923年 東京両国の漢方薬屋の長男に生まれで、
      小さいときから数学が大好きで、数学の雑誌に
      載っていた難問を解いて
      賞金を受けたり、ピタゴラスの定理の新しい証明法を
      発見した。
      中学・高校では、バスケットボールで全国大会に優勝


1946年 今の富士通に入社し、国体でも3位となり、
      センターでも65点という記録は未だに
      破られていないとか。

1954年 池田が中心となり、コンピュータFACOM100を
      開発。ただ、その矢先、IBMが日本に進出した。
      コンピュータの処理速度は、富士通の100倍
      速かった。


1961年 FACOM222を開発し、演算速度は
      以前の100倍IBMと肩を並べる


1964年 IBMがシステム360を発表
      従来は、製品ごとにコンピュータを専用に
      作っていたが、IBMはソフトを変えることにより、
      1台で何役にもなる。
      開発の中心は、ジーン・アムダール。


1970年 アムダールがIBMと開発中のシステム370で意見が合わず
      退社する。アムダールと親交を深め、京都から阿蘇まで
      2週間かけ、旅をする


1972年 池田はアムダールの会社に富士通から37人の人を送り、
      日米の共同開発が始まる


1974年 開発が遅れ、池田がアムダールの会社の役員となり、
      問題の対処に当たる。また、海外へコンピュータを売り込みに、
      月の半分が海外出張となり、開発会議にも追われ、
      分単位のスケジュールとなる


1974年11月10日 羽田空港へカナダのコンピュータメーカ社長を
            出迎えに行き、くも膜下出血で倒れる


1974年11月14日 51歳で亡くなる


1975年 LSIを搭載させた470V/6が発表される。
      演算速度は、IBMの3倍。世界最速のコンピュータとなる。
      1号機は、NASA(アメリカ航空宇宙局)に納入される

当時の開発メンバーにも伝えていた、「全ての開発は感動から始まる」
ということ言葉は、川原で模型飛行機を飛ばしていたときに
言われた言葉で、「物事に対する気持ちが全ての原動力になる」
ということだと思います。
今回は、富嶽や京よりも先に世界最速のコンピュータを作った人

「池田敏雄」のお話でした。

 

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