はじめまして、響(ひびき)です。
この記事は、システム開発会社で
入社時 SE(システムエンジニア)として、全く仕事ができなく、
毎日 朝9時から夜24時まで、馬車馬のように働き、しこたま、
怒られまくったポンコツ新入社員が
あるスーパーシステムエンジニアと出会い、出世し、下剋上する、僕の物語です。
このブログでは、そんな僕が
・入社し、初めて作成したプログラムの完成がまったく間に合わず、
会議室にて先輩社員達の前で大号泣したポンコツ新入社員が、
出世して、成り上がる話。
・男友達ばかりの暗黒の大学生活を過ごした僕が会社で成長し、自信が付き、
女の子とデートしたり、日本のスーパーカー GTRを買えるようになったりして、
人生を変わった話
・今はプログラムが分からない人、
プログラムには、興味はあるが難しいイメージがあり
やってみたいけども、どうすればよいかどうすればよいかわからない人へ、
「きっかけ」となるような話
などを発信しています。
プログラムに触れたことがない人が、プログラムの楽しさに
触れて、お子さんやご老人問わず、日本の皆さんが
私と同じように、人生がより良いものになればと思います。
そんな僕は、昔、プログラムの「プ」の字がなにかも、
わからないくらいポンコツでした。
僕の過去を振り返ってみようと思います。
生まれたのは、北海道でも
ド田舎で、周りが
山と田んぼしかないような
自然豊かなところで育ちました。
気温が
夏は+30℃
冬はー30℃
になることもあり、
寒暖の差が激しいところで
今思えば、
すごいところに住んでいたと思います。
夏は、カエルや虫の声が
うるさいくらいに鳴いて
冬は、家から30分でスキー場に
いける、雪もパウダースノーで
冬の体育の授業は
ほぼ、スキーでした。
家の周りには何もなく、
街灯がポツポツあるくらいで
夜は真っ暗。
ただ、星空が綺麗に見えて
特に冬は、空気が澄んでいて
毎日、プラネタリウムで
星を見ているような
感じでした。
小学校のころから、なんでも作成するのが好きで「図画工作(図工)」が
大好きでした。夏休みの自由研究は、かならず工作を作っていました。
車が好きで、いつかはカッコいいスーパーカーに乗りたいと、「粘土」で、
車を作ったりして遊んでいました。
小中高と地元の学校に進学し、
高校では、
「ものづくりをするなら
理系コースだろ」と思い、
理系と選択しました。
「高校デビューだ」と思い、
希望しかなかったのも束の間、
クラスに行ってみると
ほどんどが、男ばかりで
女の子は
絶滅してしまうのではないかと
思うほと、少ない。
秒殺で、終了しました。
「ものを作ることが好き」
ということはわからず、
そんなところから、大学は、
工業大学に入学し
一人暮らしが始まりました。
工業大学も、理系なので男子がほとんどで、
しかも実験に明け暮れる日々。。
女の子が学科に1人もいなく、
思い描いていたバラのような
大学生活ではありませんでした。
大学の成績も普通で、
自分にも自信がなく、
ビビリで、バイト先に好きな女の子が
いるものの、断られるのが怖く、
ご飯にも誘えませんでした。
「なにやっているだよ、俺!。
せっかくのチャンスなのに」
友達は、彼女がいるのにと、「モヤモヤ」した大学生活でした。
授業の出席だけは、まじめにして、
卒業単位も、4年になる前に
ほどんどが取りました。
そんな授業の中に、
プログラミングもあったわけです。
周りは、工業高校出身で、
高校からある程度プログラミングを
やったことのある人が結構いて、
こっちは、プログラミングなんて
まったく触ったこともありません。
しかも、授業が進むペースが速く
理解もすすみません。
プログラムを作成し、実行してみたら
プログラムの単位は、友達に聞きまくり、
やっと単位が取れるくらいでした。
就職活動の時期になり、就職説明会に来ていた今勤めている会社の説明を聞き、
「プログラムはそんなに得意ではないけども、作るという意味では変わりない
からいいかな~、知っている名前の会社名だし~」
という軽い判断で、
今勤めているシステム開発会社に決めました。
仕事をバリバリして
入社し、早々たる大学を出身している同期から、
プレッシャーを感じならも、
新人研修で、プログラムを一から習いましたが、
同期が時間内に出来る問題が、僕は全然出来ず、
「大学でもできないものは、やっぱり会社でも出来ないのか」
「他の同期とのレベルの違いがありすぎて、ヤバい」
しかも、プログラミングをやったことのない
文系の同期よりも、
問題が出来ず
と、また挫折感を味わいました。
同期の中でも、下から数えたほうが早いほど、ポンコツでした。
実際、担当部署に配属されてからは、ベテランの人ばかりで、
しかもチームメンバーが
モーレツに忙しく、わからないことがあっても、聞きづらい雰囲気でした。
「どうすればよいか」もなかなか聞けず、
仕事が進まず、新人なので、雑用を任され、
終電まで残業することや休日出勤もありました。
優秀な他の同期とは比べられて
仕事も進まず、
期日にも間に合わないことがあり
先輩からは
「やる気あるのか!!」
と毎日のように怒られます。
残業続きで
プログラムを勉強する時間もなかなか取れなく、
肉体的にも精神的にも疲れました。
そして、寝坊し、先輩社員に怒鳴られ、仕事の悪循環がありました。
そんなダメダメな状態では、初めて作成するプログラムも、
完成が間に合わず、
先輩社員と会議室で「なぜ、間に合わない?原因は?」と
問いただされ、
「・・・(自分の仕事をする時間ないじゃん、
しかも、初めて作るんだよプログラム、
だってよくわからないし・・・)」と何も言えず、号泣しました。
そんなことを繰り返してるうちに、
プログラムを見るのも嫌になり、
ただ会社に行って帰るだけの詰まらない日々が続きました。
そんな、ある日、新しく方が着任されました。その人が
「スーパーシステムエンジニア Oさん」でした。
いろいろな現場を経験されている
ベテランの方で、背が高く、
ダンディでかっこよく、
はっきりとした口調の喋りで
自信に満ちた目をしていました。
そして、暗い顔をしていた自分に、
そんな悩みがあることを話してみたところ、
「きっかけ」をくれました。
この「きっかけ」が僕の全てを変えていきました。
「そんなことで悩んでいたの?」
「いくらでも教えてあげるし、
プログラミングなんて、誰にでも出来るからさ」
とさも当たり前かのように言われてしまいました。
「え、そうなの?」
「ほんとうに?」
「本当に俺でも出来るのか?」
と
とても信じられませんでした。
自分にも出来そうという
その男と出会ってから、新入社員時、
落ちこぼれで見るだけでも、
嫌だったプログラムが、
少しずつわかりはじめ、大学時代からできなかった自分でも出来るんだと
自信がつきました。少しでもわかり始めると、
今までになかった楽しさも出てきました。
プログラムが解りはじめ、仕事も出来るようになってからは、
周りの人からも頼られるようになり、自分自身への自信にもなりました。
今度は悔し泣きではなく、うれし泣きでした。
その後、仕事も、どんどん任されるようになり、
実績を、積み重ね、昇給昇格につながりました。
下から数えたほうが早いほど、落ちこぼれだった僕が、
同期と肩を並べられるまでに成長しました。
そして、粘土で作って遊んでいた車から、
憧れだった「日本のスーパーカー GTR」
を買うことができました。
旅行に行き、おいしいものを食べたり
あとは、レースを見に行ったりして、
自分が乗っている車と同じ車がサーキットを走っていると
「僕は目の前を走っている車と同じ車に乗っているんだ!!」と
興奮します。
仕事が少しずつ出来るようになってからは、
自分にも自信がつき、
パーティーで、女の子に声をかけて、連絡先を交換し、
デートにも誘えるようなりました。
仕事も、プライベートも充実しています。
今でもOさんとは、仕事はもちろんのこと、スポーツであったり、
家に遊びに行かせてもらったりと仕事以外でも関わらせてもらっています。
これからの未来は、今までになかった技術が出たり、
さらなる技術進歩があり、
今やっていることも追及していくことも大事ですが、
他分野の技術にも触れて、
これまで以上に学び、仕事、プライベート共に、
人としても成長していきたいと思います。
昔の僕は、プログラムがわからなく、仕事が全くできない、
ポンコツ新入社員でした。
ですが、プログラムが出来るようになり、人生が変わりました。
もし、あのまま仕事が出来ない状態が続いていたなら、
仕事が面白くなく、ただ会社に行くだけの詰まらない
社会人生活を過ごしていました。
お子さんやご老人問わず、全ての日本の皆さん
「今はプログラムが解らない人」
「プログラムを触ったことはないけども、挑戦してみたい人」
「今よりも人生をより良くしたい人」
このブログが私と同じような人生の良い「きっかけ」となり、
人生がより良い方向へ変わればと思います。
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